愛知県豊川市にある豊川稲荷は、伏見稲荷と共に日本三大稲荷の1つとされています。
(三大稲荷については諸説あります。)
そこで他地域の人によく聞かれるのが、「豊川稲荷と伏見稲荷の違い。」
私にとって豊川稲荷は、子供の頃からの遊び場でもあったわけですが、大して知りません。
地元民なのに……と、ちょっと情けなかったので、豊川稲荷と伏見稲荷の違いや、豊川稲荷の名前の由来、歴史的背景を調べてみました。
調べてみたら、豊川稲荷はとても貴重な場所なのだと分かりました。
豊川稲荷と伏見稲荷の違いとは?
まず、豊川稲荷と伏見稲荷の一番の違いは、神社か寺院かの違いです。
伏見稲荷は「伏見稲荷大社」という稲荷神を祀る神社。
一方、豊川稲荷は「稲荷」という名前で呼ばれてはいますが、正式名称は「豊川閣妙厳寺(とよかわかくみょうごんじ)」という曹洞宗のお寺です。
豊川稲荷は神社ではない⁈
豊川稲荷は神社ではありません。
けれど、豊川稲荷の境内には鳥居が立っており、日本三大稲荷の1つとして数えられているのです。
実は、この寺院でありながら神社の形態(?)も残すところは、歴史的にも珍しく、とても貴重だという事がわかりました。
日本三大稲荷とは?
神道において稲荷神を祀る総本宮は、日本三大稲荷のトップ、京都の伏見稲荷大社です。
赤い鳥居がズラーっと並ぶ、海外からの観光客に人気なスポットですね。
一般的に稲荷神社とは、”稲荷神”を祀る神社のことをさします。
ちなみに狐は稲荷神に仕える神使や眷属です。
そしてこの、稲荷神社のトップ3、「日本三大稲荷」と数えられるものには、2つの説があるのです。
説2「伏見稲荷大社、豊川稲荷、最上稲荷」が日本三大稲荷
稲荷神社の頂点に立つ伏見稲荷大社は、説1にも説2にも入っていますが、他の2つの”稲荷神社”が異なります。
そして、説2の豊川稲荷と最上稲荷は、神社ではなく寺院なのです。
豊川稲荷にいる神様は稲荷神ではない
稲荷神社は稲荷神を祀る神社の事ですが、豊川稲荷が祀っているのは、稲荷神ではありません。
「荼枳尼天(だきにてん)」と呼ばれる夜叉神です。
荼枳尼天(だきにてん)は、人の心臓を食べる神だそうです・・・
(本尊は千手観音菩薩ですが、ここではややこしくなるため割愛します。)
豊川稲荷が稲荷と呼ばれる理由
稲荷神を祀っているわけではないのに、なぜ豊川稲荷は「稲荷」の名前がついているのか?
それは、豊川稲荷が祀っている荼枳尼天の「稲荷神」を連想させる姿から来ていました。
・荼枳尼天の稲穂を担いだ姿からの連想
1つは、豊川稲荷が祀っている荼枳尼天は、狐に乗ると考えられていたため、稲荷神と同一視されるようになったこと。
もう一つは、豊川吒枳尼真天(とよかわだきにしんてん)の”稲穂を担いだ姿”から「豊川稲荷」と呼ばれるようになったとも言われています。
お寺の思想と神社の思想、神様がはっきりとは区別されていなかったことから、稲穂を担いだ姿から稲荷神を連想させ、いつの間にか”似たようなもの”扱いされていた・・と言えそうです。
お寺と神社を同一視する考え
日本には、昔から「神仏習合思想」という、宗教の神様や教義の一部が混同・同一視される考え方がありました。
この神仏習合思想が、豊川稲荷が寺院でありながら稲荷と呼ばれ、日本三代稲荷の一つに数えられている背景になっています。
元々の日本の宗教は「神道」ですが、仏教が日本に入ってきてからは、神道と仏教が”習合”した考えや風習が続いているのです。
現代でも日本人は、大晦日にはお寺に行き除夜の鐘を聞き煩悩を払い、新年になると神社に行って初詣をする・・・と、仏教と神道を一緒にしていますよね。
このような風習は海外の人たちからすると珍しく、「信仰心がない」とも捉えられることもありますが、これは日本独特のものであり、また、海外の“宗教“の捉え方とは違っているだけなのです。
昔、仏教が大陸から日本へ渡ってきたのをきっかけに、“自分たちの信仰しているもの“が「宗教」というものにあたる(であろう)と気づき、【仏教=他の宗教】と区別するために「神道」と名付けられた、という歴史があります。
こうして大陸から渡ってきた仏教は、長いこと神道と”習合”してきました。
よそから来たものを”和える(あえる)”のは日本の得意とするところですね。
お寺と神社が強制的に分けられる
明治になると状況は一変。
明治政府は、神道を国教にするために、無理矢理神道と仏教を分けようとします。
江戸時代から庶民の間にも広まっていった稲荷信仰ですが、明治政府による神仏分離政策で、強制的にお寺が神社に改変されたのです。
中には、信仰までも政府により改変・捏造されてしまったところもありました。
豊川稲荷も、当然ながらこの神仏分離政策の的になり、「妙厳寺」と荼枳尼天を祀る「荼枳尼堂」と分離されようとしてしまいます。
境内にある鳥居は、明治政府によってすべて撤去されてしまいました。
この時豊川稲荷は、「あくまでも祀っているのは仏教系の守護神荼枳尼天。稲荷明神ではない!」と分離されることに抵抗しています。
ですが、この豊川稲荷のピンチに現れたのが、当時の三河藩主「大岡忠相(もと大岡越前守)」
明治政府との間に入り、仲裁・・結果として、豊川稲荷は分離されずに済んだのです。
まさに大岡名裁き?!
今では公正で人情味のある判定をする事を「大岡裁き」と言いますが、この言葉の源流となるほど大岡忠相の与える影響は大きかったのでしょう。
こうして明治時代に多くのお寺や神社が改変されていった中で、豊川稲荷は現在も昔の信仰がそのままのかたちで残されているのです。
戦後には再び境内に鳥居もたてられています。(豊川稲荷の鳥居には寺を表す卍マークが入っているので見てみて下さい。)
お寺の梵鐘と神社の鳥居が同じ境内にある景色は、私は子供の頃から当たり前だと思っていましたが、他の寺社では見かけない事を後々知りました。
本当に貴重なのですね。
もし、明治時代に豊川稲荷も神仏分離されていたら、今頃は「妙厳寺」と「稲荷神社」と2つあったのかもしれません。
豊川稲荷はお寺と神社の共存
結局、明治政府は神道の国教化に失敗しています。
天皇陛下の本来のお仕事が神事をとり行うことだと知らない人も多いとか。
今でも日本は、大晦日にはお寺の除夜の鐘を聞いて元旦は神社に参拝に行き、神も仏もごちゃ混ぜのまま。
明治時代に神社と寺院を分けられてしまったから、寺にも行って神社にも行くスタイルのまま続いています。
けれど、もともと日本では仏教も神道も同一視されていたことを考えれば、それが元からの日本のスタイルだったと言えそうです。
個人的にこのスタイルは、好きです。
良いか悪いかで判断するのではなく、「良いとこ取りしちゃえ!」とでも言うような、ある意味ちゃっかりした考え。
(真面目な人はこうしたことは“許せない“のかもしれませんが、、。)
「キリスト教かそうじゃないか」、「良いか悪いか」、「0か1か」、とはっきり区別して「自分の信じるものが1番良い」、とするのではなく、
「仏教と神道」「みんな違ってみんな良い」、「ナンバー1ではなく、オンリー1」とする。
この考え方だと、自分が好きなもの以外を「悪い・ダメ」と否定する事なく、それぞれの「好き」を尊重する事ができます。
「肉を食べるかベジタリアンか」と両極端になる海外と、元々「全体的なバランス」を大事にする日本の食事の考え方も影響を受けていますね。
・・だいぶ話が逸れました。
今も豊川稲荷は、境内にお寺の梵鐘と神社の鳥居が共存しています。
明治時代に「神道が1番。それ以外はダメ。」とならなくて良かったなと個人的に思うのです。
豊川稲荷は、強引にお寺と神社に分けられようとしながらも逃れ、今も仏教と神道が習合したまま残っている貴重な場所ですね。
《豊川稲荷周辺のスポット情報》
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【豊川稲荷(豊川閣妙厳寺】
住所:豊川市豊川町1番地
電話:0533-85-2030
御祈祷受付時間:AM6:00~15:30
御祈祷料金:お1人様3000円~
参篭(宿泊/朝夕食付):お1人様8000~
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